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うつ病の原因11.予備校編 性格形成(受験勉強に明け暮れる)

高校時代、遊んだので、予備校は自分に厳しく、逃げ場の無いようなところを選択した。
全寮制で、スパルタ教育で有名だった医歯薬専門予備校。
なので、18歳で親元を離れて暮らすことになった。
実家に帰れるのも、盆と正月の数日のみ。

勉強時間は、講義も含めて一日14時間以上と定められていた。もちろん土日も。。

寮は、精神病院の廃墟(閉鎖病棟)を改造した気味の悪い建物。
塀には、有刺鉄線、窓には鉄格子

部屋は4畳半の個室で、机と椅子と布団しかない。
もちろん、トイレと風呂は共同。
風呂は、二日に1回と決められ、号令とともに入り、号令とともに出る。まさに刑務所そのもの。

部屋には、寮監(元や○ざ)が木刀か、竹刀を持って、一時間に一回は見回りに来る。
居眠りでもしようものなら、始末書。
始末書3枚で退寮。返金なし。ひどい決まりだ。

でも、それを覚悟して、自分はここに入った。
高校時代遊んだことに対する、親への償いと考えていた。

今考えれば、真面目な考え方というか性格というか・・・。
適当にそのまま遊んで、適当に地元の予備校で、適当な大学にでも行っておいてもよかった。

それにしても一日14時間の勉強は、かなり困難だった。

当時、寮から予備校までの通学は電車。しかも満員。
電車の中はもちろん、授業と授業の間、駅から寮までの間も勉強しなければ、なかなか達成できないほど。

とにかく、一日中勉強だった。
(今考えれば、ごまかしも効いたはずだが、「真面目な」自分は本当に一日14時間の勉強を頑なに守った。
もともと、やはり「真面目」だったのか、「真面目」にならざるを得なかったのかは、今でもわからない。)

勉強方法は、いたって単純で、医歯薬大学の入試問題の過去問をひたすら解き、その解き方を暗記する。とにかく出来るまでやる。あとは数値や語句を入れ替えるのみ。なので、東大の問題でも解けるようになった。


完ぺき主義
もこの時期についたと思って間違いないだろう。

こんな寮生活だったので、寮生数人は、精神に異常をきたし、退寮となった。
いきなり「宇宙人が来たー」と叫びだしたり・・・。


まぁ、おかげで、自分は高校卒業時には、中学程度の学力しかなく、「大学」は無理。と先生から言われていたのにもかかわらず、十数校の薬科大学にすべて合格し、第一志望より上の薬科大学に入学することができた。(これには、高校の担任もとても驚いていた。)

入試のときは、ほとんど満点だっただろう。それくらい勉強した。
大学によっては特待生制度があり、それも合格。

タダ、このようなことが、本当の自分からかけ離れてしまった原因かもしれないと思うようになった。

高校のときとは「人格」も変わっていたかもしれない。
もともと「真面目」な自分が、高校で普通になり、予備校でまた、「真面目」に戻ってしまった。

人生の転機は、この時期だったかもしれない・・・。

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神社について(実家)

前ブログからのコピペです。読まれた方はスルーで。

神社について、最近このブログを見られた方には「なんのこっちゃ?」ってなるかもしれないので、改めて説明を。

詳しくは、うつ病の原因4.幼少期編 性格形成(生まれた家) [ うつ病の原因と対策 ]

私の実家はど田舎の神社。規模は大きくはない。明治神宮、出雲大社、伊勢神宮、熱田神宮等々を想像しないでほしい。

あくまでも田舎の、過疎化が進行中の村にある神社。

昨日、年収を聞いてみた。年間12万円。年間ですよ年間!12万円ですよ、120万円ではありません。。。(もちろん兼業で生活しています。)

それで、神社の運営管理を任されています。


お寺は、「檀家さん」があって、定期的にお経を読んである程度の定期収入はあるところが多いだろう。まぁそちらも、規模の問題はあるでしょうが・・・。

神社の場合は、所有者はあくまでも「氏子さん」。都会の人はわからないかもしれませんが、要は、その神社の管轄する範囲の家や人。。。

うちの場合は、氏子さんが500軒程度。毎年、1000円から2000円をお願いして集めてもらって、それを元に、神社の修繕費用や、祭事の費用等に当てられる。その中から、給与として年間12万円ということ。

神社は、古い建物で、老朽化が進み、修繕箇所は山ほどある。

それを、氏子代表で話し合って、今年はここを直そう、あれを直そうと決める。それ以外にも、いろんな費用(たとえば電球が切れたり・・・)が発生する。


メリットとしては、12万円のほかに、各種お祓いのお礼。金額は決まってはいないが、大体3000円から10000円程度。地鎮祭とか、初宮参り、七五三など。。。
月に、1回か2回程度はあるようだ。。。でも生活は成り立たない。。。
また、実質土日営業の神社であるので、お断りせざるを得ないことも多々ある。

さらに、過疎化が進むこの地域では、それほどの件数はない。しかも、最近の若い人は、「信仰心」自体がなくなってきているのも事実。それに、若い人は就職で都会に出て行く。戻ってくる人もたまにはいるのだが・・・。

信仰心の低下は、実際に現れ始めている。

毎年2月に、厄年(42歳?)の人が中心となり、厄神祭が行われる。

今年から、「やる派」と「やらない派」に分裂いているらしい。人数が少ないと、お祭り自体の規模も縮小し、派手さもなくなり、益々、参拝者が減る。このような現状である。

イベントごと(初宮参り、七五三、初詣等)は、大きな有名な神社で、というのが普通だろう。皆さんもそうではないだろうか。。。


ほかのメリットとしては、お供え物が、正月等にあること。でも、ほとんどが「お酒」。うちはお酒を飲む人がいないので、誰かにあげることが多い。後は、行事で使うとか。。。

たまに、「お米」のお供え物がある。これは直接「食費」として助かる。

その程度である。


あとは、デメリットのほうが大きいだろう。境内の掃除や、運営、その他諸々の雑用。。。


将来的には、信仰心が厚いお年寄りがいなくなり、信仰心のない若者が増え、ますます衰退していくことは間違いない。


それでも、うつ病になって、実家に毎日いるようになって、宿命のようなものを感じた。

私が今まで、子供の目で見てきた神社の見方と、今大人になってからの見方、実態は少し違っている。私は、後を継ぐために生まれてきたのかもしれない。と、少しは思うようになった。

神様が実態を見せるために、私を「うつ病」にして、実家での生活をさせたのかもしれない。。。

もともと、人のために何かをすることは嫌いではない。

まぁ、父母が元気なうちは任せて、亡くなったら、そのときに考えようと思う。

とりあえず、今は復職して、「うつ病を治すこと」が先決だ。

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うつ病の原因10.高校生編 性格形成(少し本当の自分が…)

前ブログからのコピペです。読まれた方はスルーで。

久々ですが、今度は高校時代の話。
うつ病には直接関係ないと思う・・・。


高校1年のときは、まだ真面目なほうだった。高校は男女共学の公立高校。
自転車で片道10kmの道のりを毎日通った。今考えるとすごい距離。毎日20km自転車に乗っていたのだから・・・。
夏場の雨の日は、学校に着くと、学生服は汗でビショビショ。冬場の雪の日もつらかった。

高校2年になるとき、迷わず「理数系」を選択した。
理由は、「神社」から少しでも遠いところに行きたかったから。。。

理数系は、男子が多く、自分は通称「男組」といわれたクラスに入った。
全員男子。ある意味気楽だった。

そのころ、早くも「浪人」を決意した。いままで、自分の好きなことは何一つといっていいほどしてこなかった。
少しは「遊ぼう」と思った。一年浪人してもいい、その分、自分の好きなことをしてみたいと思った。

ただ、部活動はやはり剣道部。2年の後半からは主将(キャプテン)となった。

2年から勉強をしなくなった自分の成績はどんどん下がる一方。
それでも、一応理数系はがんばった。

成績の落差(日本史、古文、漢文は最下位近く、物理、数学、化学、生物はトップクラス。)がかなりあったが・・・。
意図的としか考えられない(笑)。
神社を継ぐのが本当にいやだったのだろう。

また、2年の初めころから、3年の後半にかけてバンド活動もした。もちろん親には内緒で。楽器はできなかったので、ボーカルで。
一軒家の空き家を借りたり、スタジオを借りたりして練習した。

賭けマージャンもしたし、禁止のアルバイトもした。タバコは中2から吸い始め、このころピークだった。酒も飲んだし(時効?)

恋愛経験もそれなりにした。確か5人と付き合ったが、長続きはしなかった。
でも、今考えると、そんなに真剣では無かったのだろう。
別れるときも意外とあっさり。

このころが一番楽しかった。「本当の自分」が出せていた唯一の時期かもしれない。今考えると。。。
「心」も健康だった。鬱になる要素なんて、これっぽっちも無かった気がする。


あるとき、高校の帰り、遠回りをして帰っていたら、母が中学時代の隣のクラスの先生を乗せていたのを目撃。母への不信感は募っていった。

中学のころから、自宅によく電話があった。隣のクラス担任がかけてくること自体おかしい。。。
電話があると決まって、別の部屋へ行ってコソコソ話していた。
明らかに怪しい。。。その後よく車で外出していった記憶がある。
(いいように考えてあげれば、まぁ母も人間、父親は仕事一筋で寂しかったのかもしれない。)

そんなこんなで、高校時代はそれなりに楽しかった思い出がいくつもある。

今回のうつ病になるきっかけのようなものは見当たらない。性格もこのころが一番明るかったと思う。

このまま、人生を進んでいれば・・・
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うつ病の原因9.中学生編 性格形成(今考えるとウツ?)

前ブログからのコピペです。読まれた方はスルーで。

中学2年の頃、突然歩けなくなった。
足腰が痛くて。
当時は自転車通学。自転車にも乗れない。
毎日、車での送迎。

体育も部活動もずっと見学。ほぼ一年間。原因不明。

気分は落ち込んで最悪。

何に対しても気力が無くなり、勉強もできなくなった。
今思えば、「うつ状態」だったような気がする。今と精神状態が似ている。。。
もし精神科等に行っていれば、「うつ病」と診断されていたかもしれない・・・。

足腰が痛くなったのは、たぶん、いや、ほぼ剣道が原因。
精神的なものから来ていたのかもしれない。
その剣道も1年間休んだ。歩くのがやっとだったので当然といえば当然。


中学に入学したとき、軟式テニス部に入部した。
幸い剣道部は存在していなかった。ラッキー!

ところが、中学2年になる前に、剣道部を創部することになった。私を含め5人の経験者で・・・。もちろん私の祖父も絡んでいた。


泣く泣くテニス部もやめ、また剣道をすることになった。
その頃から、足腰の痛みがひどくなっていた気がする。ほとんど見学だったが・・・。

中2の後半から剣道を再開し、試合のたびに膝の痛みを抑える注射を膝に打ちまくった。
医者に「注射で成長が止まるけどいいか?」と何度も確認された。
痛みから逃れるため、そんなことはどうでもいいと思ったし、注射ごときで成長が止まるなんて、ありえないと思っていた。

でも、本当に成長がピタッと止まった。なので、自分の身長は今も中2のまま・・・。
169cm。中2にしては大きいほうだった。

友達はみんな高校になっても成長し、どんどん抜かれていく。なんか屈辱的だった。
父親の身長はは175、母親も160以上。
もう少し伸びてもいいはずだった。遺伝的には。。。

途中で成長が止まったので、なんとなくアンバランスな体型。
これもちょっとコンプレックス。
(今考えると、人生に、身長なんてそれほど影響しない。少なくともこれからは・・・。自分で納得・・・。)

でも、それもこれも、みんな剣道のせい。
(剣道をさせた、母親にやはり矛先が向くのであった…)


腰と膝の痛みを抑えるため、整形外科、整体、鍼、漢方、サプリメント、、、あらゆる手段をとったが、治らなかった。。。
だんだんと歩くことすらできなくなっていた。

そんなある日、父親の知り合いの知り合いのバスの運転手(なぜか僧侶)がマッサージもどきの治療を何度かしてくれた。治療費も取らなかった。(その人は、膝の痛みは、腕や肩、腰、背中からきていると言っていた。なので、膝を触らずに、膝を治してくれた。)
そのおかげで、信じられないくらいに回復した。歩けるようになったのだ

一年のブランクがあるにもかかわらず、駅伝の選手にも選ばれたり、剣道の試合でも上位に名を連ねることができた。精神的にも回復してきた。

3年では剣道の副キャプテン。あの人には、一生頭が上がらない・・・。
(あの人との出会いは何だったのだろう。あの人には本当に感謝している。あの出会いが無ければ、今も車椅子生活だった。誰に感謝すればいいのか。神様か。いや、それでも父親が一生懸命いろいろ捜してくれたからこそだ。元はといえば、母親が無理やりさせた剣道が原因なのだが・・・。今考えると、両親とも必死だったに違いない。少しは理解できるようになってきた。ただ、こういう事実を、今、反省してほしい。それだけで救われる気がする。)


いろいろ書いて、だいぶ、「過去との決別」をすることができてきた。

あとは、「今」と「未来」のみ考えることで、うつ病も逃げて行ってくれるだろうと思う。

一応、次は高校編


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うつ病の原因8.小学生編3性格形成(忘れられないある出来事)

前ブログからのコピペです。読まれた方はスルーで。

それは小学3年生のとき。

図工の授業中か、自習の時間だったと思う。
突然の腹痛と冷や汗が出てトイレに行きたくなった。

小学の時って、トイレに行くのも勇気が要る。ましてや、授業中に。
それでも我慢ができなくて、とにかく走った。これがまた、トイレが遠い。
廊下を走って、下駄箱で靴に履き替え、運動場を駆け抜けてトイレに。。。

もたなかった・・・
途中でお漏らし・・・。

完全に下痢。(食事中の方すみません)
水様便。当時は短パン、外からも丸分かり・・・。

授業中だから、誰もいないと思いきや、体育の授業をしていた5年生がいた。
その中には、札付きの「悪」も。
その「悪」の中の、3番手くらいの子が、このとき以来、ひどい言葉で、自分をなじった。
いじめに近い。

水道で、手足を洗い、教室に戻る途中、担任の教師と出くわした。
「すぐに自宅に帰って、シャワーを浴びて、着替えて来い」とのこと。

よほど、ひどかったのだろう。自分は、もう冷静ではなかったので、分からなかったが、体中が「う○こ」まみれだったに違いない。

家まで走れば5分。そのまま、自宅に帰った。

ところが!!!!!

自宅には、誰もいない。母がいるはずなのにいない!
もちろん鍵もかかっているので、入れない。

どうしよう、どうしよう、どうしよう。あせりまくった。、ヽ`(~д~*)、ヽ

家の周りをぐるぐる回りどこか鍵の開いている窓を探した。
そしたら、トイレの小窓が開いていた。(またトイレかよっ!)
確か、何か「台」を使ってよじ登り、とりあえず進入成功。

泣きながらシャワーを浴びて、泣きながら着替えて、泣きながら、学校へ戻った・・・。すでに2時間近く経過していたと思う。

そのときのショックは尋常では無かった。今でも鮮明に覚えているくらいだから・・・。

教室に入ると、みんな、普通。
あえて、その話題に触れてこない。(と記憶しているが、脳がいやな記憶を消し去っているのかもしれない。30分程度で帰ってくるはずが、2時間近くも帰ってこなかったのだから、質問攻めにあっていたに違いないし、その光景を見ていた同級生も何人かいたはず・・・)
小学3年生ともなると好奇心の塊。
「どうしたの?」「どこにいたの?」質問攻めにあっていてもおかしくない状況。

もしかしたら、担任の先生が、事前に注意をしていたのかもしれない。

それ以来、このことについて、クラスメートは何も触れてこない。
知っているはずなのに。いや、完全に知っている。
知っているのに、気を遣ってあえて触れられない。
同級生のいじめっ子タイプの子にまで気を遣わせていた。。。

逆に落ち込んだ・・・。もっと笑ってくれれば、よかったかもしれない。
腫れ物に触れるような感じで接してこられていた。当時。
その後も、ずーっとそのことにはみんな触れない。自分だけが心の中で傷ついていた。

5年生のある人物だけが、毎日のようにからかいに来る。
私が中学2年になるまでずっと。

中学1年になったとき、「悪」の3番手のそいつは3年。
卒業するまで、嫌がらせは続いた。
まるで鬼の首を取ったかのごとく。。。

悪の1番手、2番手でさえ、その事件以降、その話題には触れてこなかった・・・。


とにかく、これだけ苦しんだ理由は、「下痢」。
下痢の原因は、母親。

とにかく、母親の出した食べ物にあたったのは、ほぼ間違いない。
いつも、腐りかけの食べ物をよく出されていた。

精神的なものかもしれないが、それでも原因は母親にある。
(習い事や塾に無理やり連れて行かれたことでの精神的なものからくる消化器症状の可能性も。それに、事件当日の大事なときに家にいてくれなかった。せめて置手紙でもあれば連絡がついたのに・・・。。)

そして、当然の如く、その怒りの矛先は母親に向かった。
でも、表には出せなかった。心の中だけでの恨み。


幸い悪の3番手以外からの、いじめには一度もあわなかった。(と、記憶している・・・)
自慢になってしまうが、勉強もできて、スポーツ万能、友達も多く、不良グループには入っていなかったが仲は悪くなかった。
不良グループの一人一人とは、仲がよかったほう。う○ち事件以外は、これといってからかわれる要素は無かった。当時。

一人だけ、自分が目障りだったようで、よく階段下とかに呼び出されて、胸ぐらをつかまれたりしたが、それくらい。
そいつも、手は出してこなかった。そいつの家は複雑な環境で、誰が見ても「不幸」な家庭。
気に食わないのもわかる気がした。同情していたわけではないが、不良になって当然って感じ。
そいつは、空手か少林寺拳法を習っており、体もごつい。誰も逆らうものはいなかった。
私も体は大きいほうで、けんかをしても勝つ自信はあった。
まぁ、剣道をしていたおかげもあるのかもしれない。

そんなこんなで、子供のころ、心に深い傷を負ったのは、このう○ち事件のみかもしれない・・・。
でも、いまでも鮮明に覚えているし、忘れられない。

よほどショックが大きかったのであろう。
深い傷となって心に残っている・・・・。

この事件をきっかけに、自分への自信という感覚がなくなったことだけは確か。
暗い影をずっと引きずっていた。。。
いまでも、自分に自信がない。自信が無いのはこの出来事が大きくかかわっていることは間違いない。また、このとき以来、何事にも消極的になってしまった。
心のどこかで、引きずっているのだろう・・・。



長文になりました。すみません。
でも、書いてすっきりしました。全国の人にカミングアウトしたので、もう恥ずかしくもなんとも無い!!!

「自分は、小学生のとき、う○ちもらしましたぁーーー!!!」


次は、中学編です。「今考えるとウツ?」を予定しています。

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うつ病の原因7.番外編 母は片付けられない女

前ブログからのコピペです。読まれた方はスルーで。

小学生の嫌な思い出を書いていると、母親に無性に腹が立ってきた。
ここで、先に母の「秘密」をぶちまけてやります。
自分の苦しみの一部はこのことから来ています。

母は、所謂、片付けられない女、ゴミ屋敷の主人です。
(うつ病発症当初、主治医から実家でゆっくり休養することを薦められた。しかしながら、以下のような状況で、自分の居場所が無い。居場所を作ってくれと頼んでも、断固拒否。今日に至る・・・)

まぁ、世間体を第一にしているので、見えるところはきれいにしています。玄関など。

自分の服やアクセサリーもブランド物で統一したりと、おしゃれにもお金をかけています。
はっきり言って、湯水のごとく、お金を使います(少しくらい財産の残しといてほしい。老人ホームに入るにも、家をリフォームするにもお金がかかる。葬式代くらいは残しいて欲しいものだ・・・)。近所でも、「上品な奥様」で通っています。付き合う友人も、上品なお金持ちとかが多いようです。


まずは、今までマジで苦しんできた、食事。何度食中毒になったことか。。。

台所の写真を見てもらえるとその『深刻さ』がわかっていただけると思います。

築10年ですが、2年目くらいからこの状態でした。その前の家も同様。
こんな、台所で食事を作ったら、そりゃ食中毒にもなります。火事にならないかも心配です。子供のころから何度言っても、片付けません。私がしようとしても断固拒否です。
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意味不明な塔が立っています。(笑)

ちなみに、私の自宅マンションは、築5年でこの程度です。↓
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まぁ妻はきれい好きなのでこの程度で済んでいるのでしょう。


冷蔵庫の中も、酷いもので、もうまったく何も入りません。
なぜなら、腐敗した食べ物で満タンだからです。なぜ捨てないのか理解できません。

中学生のとき、あまりにも酷いので、私がゴミ袋片手に片っ端から捨てたことがあります。
異様なにおいで気分が悪くなりました。出てきたものは、賞味期限を何年も過ぎた真っ黒な得体の知れない食品や、パンパンに膨れ上がった缶詰。。捨てるのにも一苦労でした。
それでも、数週間で、元通り。。。ヽ(TдT)ノ

母は「買い物依存症」なのかもしれません。
だから、家にあるものをどんどん買ってきて、結局入りきれない。
それで、古いものは腐っていく。腐ったものを捨てられない。
冷蔵庫が満タン。何らかの病気なのでしょう・・・。
洋服なども迷わず即買いです。(◎-◎)
(母親は、嫁に来て、親戚だらけの中で、プレッシャーと戦い、毎日遅く帰ってくる父親に対する淋しさを紛らわせるためだったのかもしれません。そう考えると、同情の余地はあります。)

冷蔵庫は、何台目でしょうか。腐ったものでいっぱいになったら、新しいものに買い換える。
そんな馬鹿な話があるでしょうか。。。いまは、「要冷蔵」の食品は実家にありません。

冷蔵庫がいっぱいで何も入らない 
当然、氷すらないので、真夏でも生ぬるい飲み物しか出てこない・・・。
怒りを通り越して、あきれるばかり。

父親も、このことに対して何も言いません(昔は言っていました)。もうあきらめているのでしょう。もしくは、弱みを握られているか。(笑)
この事実を知っているのは、私と妻と妹です。妹の旦那は、リビング、ダイニングには入ってきません。。。っていうか入れません。。。

ダイニングテーブルの上です。どこで食事をすれば・・・。
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こんな実家に誰が帰りたいでしょうか?
「将来あんたのお家や」っていうけれど、床は多分腐っています。

ドアも機能を果たしていません

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子供のころ、食事が出てきて、一口食べると変な味!
「変な味がするっ!」って言ったら、「やっぱり?」と母。
「じゃあ、やめといて」だって。殺す気かぁ~!!!

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うつ病の原因6.小学生編2性格形成(剣道と塾)

前ブログからのコピペです。読まれた方はスルーで。

小学1年生のとき、ソフトボールクラブに入った。自分の希望とかではなく、男子はみんなが入っていたので。
田舎なので、スポーツ教室みたいなものは、当時これしか無かった。
(当時、「自分の意思」というものは無くて、親の意思に従うだけだった。小学1年ではこんなものか。。)

小学2年になって、ソフトを辞め、剣道を始めることになった。
(本当は、みんなと一緒にソフトボールを続けたかった。)

剣道の道場は地元には無く、隣町まで車に乗せられ通うことになった。
剣道をするきっかけは、母方の祖父が剣道の師範で道場を持っていたから・・・。
(当然、自分の希望ではなく、母親の勝手な判断で嫌々ながら・・・その、嫌いな剣道は、その後中学、高校まで続くことになる・・・。)

剣道の練習は、基本週2回。
試合前になると、ほかの道場に出向いて練習をさせてもらう熱の入りよう。
学年があがるにつれ、週2回と、別の道場に週2回、日曜日には、地域全体の中から有志が集まり「特練会」という、とても厳しい稽古があった。
なので、週5回。ひどいときには、3つ目の道場に顔を出していたときも・・・。
ほぼ毎日の時期もあった。
(おかげで、試合ではいつも上位に名を連ねることができていたわけだが・・・。本当の自分は「負けず嫌い」な面もあったかも・・・。)

ただ、自分は、剣道が嫌いで仕方なかった。いつも憂鬱な気分になり、吐き気を催し、熱が出た。泣きながら、吐きながら練習に励んだこともあった。
にもかかわらず、母親は、毎回のように車に引き擦り込んででも連れて行った。
(今思えば、母も大変だっただろう・・・でも、あのときの苦しみは今でも忘れられない。「剣道」と聞くだけでもいやな思い出が甦ってくる。)


母親は、当時、道場へ車で送るとき、「ニューミュージック」のカセットを聴きながら走っていた。
そのため、剣道の無いときでも、その音楽を聴くだけで、体調が悪くなり吐きそうになっていた。
(今でもその曲を聴くと、当時を思い出してしまう。予期不安?トラウマ?曲名は覚えていないが・・・よほど嫌いだったのだろう剣道が。)


小学3年になると、塾にも通うようになる。
はっきり言って売れっ子芸能人並みの忙しさ。

塾も、地元のならまだよかったのだが、市内の中心部まで。特進塾。
(母親は、有名私立中学に入れたかったらしい。自分は、友達と同じ中学に進みたかった。これも親のエゴ。だから自分は、娘には無理強いしない。本人の考えを優先する。ただアドバイスはしてもいいと思う。自分の場合は、有無も言わせず。。あぁ腹が立つ!!)

その塾は、スパルタ教育で有名で(今なら大問題)、往復ビンタ当たり前。
問題に答えられなかっただけで、黒板消しで、顔と頭を真っ白にされる。
帰りは、人通りの多い商店街を、その顔と頭で帰らなければならい。屈辱的だった。
(おかげで、県内でもトップクラスの成績を取ることができ、有名私立中学合格間違い無しといわれていた。)

剣道と、塾のおかげで、「体調に異変」が起きていた。常に。

・原因不明の皮膚炎(病院に行っても治らず、最終的には漢方薬をせんじて毎日飲んでいた。)

・吐き気と食欲不振(ガリガリに痩せ、給食もろくに食べることができず、掃除の時間になっても食べていた。パンをほんの一口、口に入れただけでおなかいっぱいで吐きそうになる。そんな日々が続いた・・・)

・微熱(剣道や塾の前になると、いつも微熱が出た。それでも母親は、引きずりながら連れて行った。逆にすごいエネルギーだ!)

(今考えると、上記のような状態は、うつ病の症状に似ているではないか。たしかに、その頃、何も楽しくなかったし、特に思い出もない。辛かった記憶しか・・・。そのときのストレスは尋常ではなかったことだけは覚えている。母を恨んでいるのもその事が一番の原因である。)


幸いなことに、小学校5年で担任が変わり、母を「そこまでしなくてもいいのでは?」と説得してくれた。

そして、塾をやめ、地元の公立中学に行くことになった。
もちろん、上記のような症状は、自然となくなり、5年以降の楽しい思い出は今でも思い出すことができる。
(明らかに、心の病だったのだろう・・・30年近く前は、心の病なんて誰も想像しなかったに違いない。)


そんなこんなで、習い事によるストレスは酷かった。

ただ、母親も一生懸命だったのだろう。
田舎の神社の嫁に来て、立派な息子に育てなければならないという、ある種の「強迫観念」に駆られていたに違いない。

先日もらった「手紙」にもそれらしきことが書いてあった。
母もある意味「心の病」を抱えていたのかもしれない。
(そう考えると、同情の余地はある)

ということで、いろいろ思い返してみて、また辛い思いがこみ上げてきた。
ただし、母を恨む気持は、このことに関しては、少しは軽くなった。。。かな???



今回の話も、あくまでも「うつ病の原因」ではなくて、「うつ病になりやすい性格になった経緯」みたいなものとお考えください。

次回は、「小学生編3性格形成(忘れられないある出来事)」を予定しています。

「まだあるのかよっ!」て感じです(笑)まだまだあります・・・。

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うつ病の原因5.小学生編1性格形成(父と母)

前ブログからのコピペです。読まれた方はスルーで。

父は、毎晩午前0時を過ぎてからの帰宅が多かった。
理由はマージャン。一応付き合いだというが、本人の趣味でもあり、ストレス解消法だったのだろう。
(今なら少しは理解できるが、そのときはとても理解などできず、遊んでばかりで自分にかまってくれない父親として写っていた。)

そのため、子供のころから父と話す機会は、極端に少なかった。
たまの休みにも、ゴルフ三昧。これも付き合いだという。
(今のコミュニケーション不足もこの頃の名残だろうと思う。)


確かに、父はとんとん拍子で出世していった。子供ながらにすごいと思った。
昔ながらの日本企業で、お中元に、お歳暮を、母が社長や重役の自宅まで持っていっていた。
マージャンや、ゴルフの相手も社長や重役。。。出世のためにそこまでやるか?と思っていた。
(このようなことを見てきて、自分は外資系企業に就職した。子供心にも日本のドロドロした派閥争いのような会社には入りたくなかった。)

でも、結果的に、異例の出世。
最終的には、子会社の社長。定年後も関連会社へ、取締役か副社長かで出向。
定年後にそんな職が与えられて、幸せ者だ。

普段は天然ボケで、仕事ができるとはとても思えない。
ただ、人柄はよく、嫌う人間はいないかもしれない。信頼感も厚かったのだと思う
(何れにせよ、自分には真似できないので、そこだけは尊敬する。)

まぁ、そんなことはどうでもよくて、父と母はいつも喧嘩をしていた。
(それがとっても嫌だった。自分も娘の前でよく夫婦喧嘩をしていた。最近少なくなったけど。いつも娘が仲裁に入る。反省。子供の前での夫婦喧嘩は絶対よくないと思う。今更ながら・・・。)

母は、実家の手伝いと、習字教室の手伝いをたまにしているくらいで、後は何をしていたのか・・・。
遊んでいたとしか思えない。ほとんど家にいなかったという記憶しかない。
(本当は、家にいた日の方が多かったのかもしれない。ただ自分の記憶では、遊んでばかりの母親に写っていた。)

家族団らんもあまり無かった。
(勿論あったのかもしれないが、自分の記憶にはほとんど無い。)

おもちゃもあまり買って貰えなかった。
買ってくれるとしたら、勉強に役立ちそうなもののみ。
テレビもかなり制限されていた。
友達やいとこのう家に行くと、おもちゃがたくさんあり、テレビも見放題。羨ましかった・・・。
(なぜ、自分のうちだけ?という疑問がいつもあった。悔しい思い、うらやましい気持ちを何度も持った覚えがある。)

旅行や遊びにもあまりいけなかった。
(神社という職業上、仕方ない面もあるが。年に一度だけ、海水浴に行った覚えがある。会社の保養所があるところに。それくらい、記憶に残っているのは・・・。)

平日は、一人で山で遊んだり、近所の友達と川や山で遊んでいた。後は本を読んだり。

小学校時代はこんな感じで育てられてきた記憶しかない。

よって、今の性格に、このような『幼少期の記憶』は、少なからず影響していると思う。

あくまでも、タイトルから誤解を受けるかもしれませんが、今のうつ病の原因ではなくて、「性格形成」についての話でした。。。

次回は、『小学生編2 性格形成(習い事)』の予定です。
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うつ病の原因4.幼少期編 性格形成(生まれた家)

前ブログからのコピペです。読まれた方はスルーで。

自分はある職業の家に生まれた。
それは、神社。(「僕!イケメン!」の狩野英孝の実家も神社らしい(プチ情報))

しかも田舎の。規模は大きいが、何分田舎な物で、参拝客は少ない。
収入も少なく、それだけでは食べていくことは不可能。
なにか地元で兼業しなければならない。

伊勢神宮や、明治神宮、熱田神宮、出雲大社などなら迷わずあとを継いでいただろう。

うちの神社は1100年以上続いている。
自分の代で途切れさせるのは心苦しい面もある。
(何代か前に、跡継ぎを放棄した人物が何人かいるらしい。その遺伝子を受け継いでいるのかもしれない。それでもまた、自分の先祖に戻ってきたらしい。)


ただ、小さいときから、自分は後継ぎに成らなければならないと、言われながら育てられてきた。
それに、神社の子供だから、「まじめ」に、「礼儀正しく」・・・と言われていた。
世間体をとにかく気にする母親。

近所の上級生からも、よくからかわれた。「神様の子、神様の子」って。
自分は、それがいやでいやでしょうがなかった。

だから、国語とか社会とかは嫌いだった。歴史なんて一番嫌い。
神社を継がなくてもいい方向に進みたかった。
だからかどうかは、わからないが、理系の科目が好きだった。

いま、一番といっていいほど悩んでいるのは、将来のこと。
神社のあとを継ぐにしても、ほかにメインの仕事がいる。
しかも地元で再就職。

今の時代そう簡単に見つかるものでもない。
田舎なので余計に。幸い父は地元企業。。。

それに、土日の休みは神社の仕事をしなければならない。
はっきりいって自信がない。それどころか、無理。
そんなことを考えるだけで鬱な気分になる。

資格も取りにいかなくてはならない。
そのためには今の会社を辞めるしかない。
お金もかかる。


こんなストレスが、子供のころからずっと続いている。

これまでも、年末年始の正月をはじめ、秋祭りや、2月の厄除祭、毎月のようにある行事の手伝いをしていた。みんなが休んでいるときに仕事。物心ついたときから。
なので、あまりどこかに連れて行ってもらった記憶は少ない。


仕事をしながら手伝うのも結構体力がいったし、本業の休息もろくに取れていなかったとおもう。

ストレス発散どころか、ストレスはたまるばかり。

それに将来はもっと大変になることは、容易に想像できる。
父親もそう長生きはしてくれない。

父親も、サラリーマンをやりながら、神社の仕事をし、本業では結構大きな地元企業の子会社の社長まで上り詰めた。高卒で。相当な苦労をしたようだ。

父親と自分の性格は違う。父親は強い。自分は弱い。

こんな風に育ったので、人生の目標は立てられなかった。本業をいずれはやめることになると思うと、真剣に取り組むのも馬鹿らしく思えてきた。その割には一生懸命働いたのだが・・・。

どうしようどうしよう、とばかり考えていて、気がつけば30代後半。

そんな時、父親が定年退職。幸い再就職先がみつかり、今も働きながら神社のこともしている。
尊敬に値する。

父の定年退職の時期と同時にうつ病になった。少なからず影響はあったのだろう。
現実問題が目の前に迫ってきたのだ。今まで現実から目を背けていた。

『将来に対する不安。』

うつ病の原因のひとつと考えている・
この問題も、今の休職中に、両親とちゃんと話し合わなければならないと思っている。



もちろん、ほかにもストレスは山のようにあった。
抱えきれないほど・・・。


ほかの要因は次回に・・・。
一応、補足しておくと、今回のうつ病の直接のきっかけは、間違いなく仕事上の過労とストレスである。

睡眠不足のため、よくわからない文章になったが、なんとなくわかってもらえただろうか・・・。
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うつ病の原因3.幼少期編 性格形成(妹)

前ブログからのコピペです。読まれた方はスルーで。

自分にはひとつ下の妹がいる。いわゆる、年子。
自分が2歳になるときにはもう生まれていた。
(今は結婚して、二人の子供に恵まれて幸せに暮らしている。)

子供のころの話。

親は当然下の子に目がいく。
なので、自分は愛情を受けていなかったんだと思う。
いちばん甘えたい時期に甘えることができなかった。
甘えることを知らなかったし、今も甘えられない。

自分は、小さい時とにかく泣き虫で、ずっと泣いていたらしい。
親の気を引きたかったのかもしれない。

それに引き換え、妹はおとなしく、愚図らずに眠るし、「やりやすい子」だったと両親はいう。

自分は、妹にも「恨み」を持っている。

どういうことかというと、よく、事ある毎に、「お兄ちゃんでしょ」「お兄ちゃんの癖に」とか言われていた。
そのたびに、いろんなことを我慢していた。
悔しかった。

妹は、兄の自分と同等であると思っていた。
なので、しょっちゅう喧嘩をした。

あるとき、妹と喧嘩をして、あまりにも腹が立ったので、蹴るまねをした。
そしたら、妹が泣き出し、母親に、「お兄ちゃんが蹴った~」とうそ泣きをしながら告げ口をした。

蹴ってないのに、蹴るまねをしただけなのに・・・。
なのに、親は、蹴ったと信じ込み、酷く怒られた。

そのときのことが今でも悔しくて悔しくて。

今は、お互い大人になって、喧嘩こそしないが、たまにイラッとくる。
世間一般の兄と妹の関係とは明らかに違う感じ。
どこかよそよそしい気がする。

このような、幼少期の体験も、今の性格に何らかの影響を与えているのかもしれない。


でも、たった一人の妹。血のつながった一人の人間。

これから、なにかと頼ったり頼られたりするかもしれない。

子供のころのことは、この記事に書いたことで、水に流そうと思う。

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おたまじゃくし

Author:おたまじゃくし
今年41歳のサラリーマン!
うつ病からの復活を目指して、日々努力しています。
とりあえず、復職したものの、また休職・・そしてついに退職・・・。今まで太く短い人生だったけど、これからは細く長く生きて行きたいと思います。↓元気を分けてください。
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